「 『10人の拉致くらいで日朝交渉に影響あれば困る』という官僚 」
『週刊ダイヤモンド』 2002年3月23日号
オピニオン縦横無尽 438回
3月12日のテレビ朝日の報道番組を見て、不思議に思ったことがあった。
画面には、「すみませんでした。私が誘拐しました。今まで黙っていてすみませんでした」と詫びる八尾恵氏の姿があった。
氏はよど号ハイジャック犯の元妻で、田宮高麿(故人)の指示により1987年に2人の子どもを置いて帰国した。彼女は83年にロンドンで、当時23歳の有本恵子さんに接近、言葉巧みに北朝鮮に送り込んだ。恵子さんの消息は途絶え、5年が過ぎた時、突然、北海道の、これまたヨーロッパ旅行中に失跡した男性から、実家に手紙が届いた。平壌で恵子さんと共に3人で暮らしているとの内容だ。
まぎれもない恵子さんの拉致が明確になった瞬間だ。以来、さらに14年が過ぎ、恵子さんはすでに42歳だ。
恵子さんを拉致し、一生を台なしにした実行グループの1人が、ご両親の眼前で土下座をして謝っている。親の心情として容易に許せるものではない。「なぜだ!」と烈しく責めても当然である。だが、ご両親は「よう言うてくださいました。感謝します」「これから先は気にしないでください」とまで述べ、八尾氏を慰めたのである。
私は、その姿を見ながら、なぜ怒らないのかと考えていた。
私は有本夫妻とは過去何年間か、いっしょに拉致問題について訴えてきた。小欄でもたびたび取り上げ、また、「拉致された日本人を救出する全国協議会」主催の国民大集会を開き、日本国内のみならず、国際社会の世論に働きかけてきた。恵子さんのほかにも横田めぐみさん、増元るみ子さん、浜本富貴恵さん、奥土祐木子さん、蓮池薫さん、地村保志さん、市川修一さんらが拉致されている。ご家族の気持ちは、憤りも口惜しさも悲しみも含めて、これまでの年月のなかで聞き取り感じとってきたつもりだった。その立場から、あまりに心優しい有本夫妻の八尾氏への対応は不思議に思えたのだ。だが、その間の事情を語る夫妻の言葉が私の勉強不足を教えてくれた。お母さんの嘉代子さんが語った。
「1988年9月6日に平壌から手紙がきたと知らされ、10月には外務省に救出を頼みに行きました。『国交がないから打つ手はありません』『この件が表沙汰になると娘さんの身が危険だ。黙っていてください』と言われました」
外務省の常套句である。以来、夫妻は悩みつつひっそりと暮らした。だが、1991年1月7日に恵子さん拉致の記事が実名で出た。いったん出たのなら公に行動を起こすしかないと心を決めて、その時から夫妻は孤独な戦いを始めた。
「だれもまともに対応してくれませんでした。やがてめぐみさんの拉致が明らかになって横田さんはじめ皆さんといっしょに行動を起こしました。それでも、政府は恵子の拉致は認めませんでした。今回、八尾さんが拉致したと証言して初めて拉致だと認めてもらえた。私らにしてみれば、拉致さえ認めてもらえない真っ暗の絶望から、ようやく一歩抜け出した気持ちでした。それがあの発言になったのです」
どれほどの孤独と不安のなかに夫妻が放置されていたことか。そのことに思いが至らなかったことを反省しつつ、私の心の中には新たな憤りが渦巻く。安倍晋三官房副長官が語った。
「河野外相時代、外務省高官2名が『10人の拉致くらいで日朝交渉に影響が出ては困る』と言い、私と論争になったことがあります。国民を見捨てるとは、いったいなんのために外交官になったのか。こんなことでは日本は国家とはいえないのです」
外務省に「打つ手はない」理由は、国交がないからではない。国民を守る心がないからだ。小泉首相よ、この悪しき流れを全力で変えていけ。